有価証券報告書の人的資本の欄をようやく埋め終えても、肩の荷が下りないのは無理もありません。人的資本経営のKPI(重要業績評価指標)として何を追えばよいのか、あなたの中でまだ答えが出ていないからではないでしょうか。

研修時間が増えたことと、スコアが少し上がったことは言えても、そのあいだで何が起きたのかを示す数字が手元にありません。取締役会や投資家との対話で「その施策で何が変わったのか」と聞かれ、言葉に詰まる場面を想像してみてください。

こんな場面に心当たりはありませんか。

● 施策の成果を聞かれ、研修時間とスコアの数字を並べて答えるしかなかった

● 開示している指標が結果の数字ばかりで、施策がうまく進んでいるかを途中で確かめられない

● 開示の話を現場に伝えても、自分の仕事とは離れた数字の話として受け取られてしまう

この記事では、人的資本経営のKPIを施策・中間・結果の3層で組み立てる手順と、2026年の制度の変更点を整理します。3月決算の会社では、次の有価証券報告書の対象となる事業年度がすでに半分過ぎました。下期から中間の指標を測り始めれば、期末までに半年分の変化を示せるので、この記事の手順を今期のうちに試すこともできます。

それでは詳しく見ていきましょう。

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1. 人的資本経営のKPIとは?開示の指標との違い

「開示している指標は、そのままKPIと呼んでよいのだろうか」と迷ったことはありませんか。人的資本経営のKPIとは、人材戦略が経営戦略の目標に近づいているかを確かめるために、会社が自ら選んで追いかける指標です。有価証券報告書などで開示する指標と重なる部分はありますが、同じものではありません。

1.1. 開示の指標とKPIは、使う人と使い道が違う

開示の指標は社外の人が企業を比べるための数字で、KPIは社内で施策を続けるか変えるかを決めるための数字です。見る人と使い道、見る頻度と選び方という観点で整理すると、両者は次のように分かれます。

観点 開示の指標 経営のKPI
主に見る人 投資家などの社外の人 経営陣や事業の責任者、現場の管理職
使い道 企業どうしの比較と評価 施策を続けるか、変えるかの判断
見る頻度 年1回の開示が中心 月次や四半期
選び方 制度や比べやすさで決まる指標もある 自社の経営戦略から逆にたどって決める

例えば、春に始めた施策を続けるかどうかを、秋の時点で決めなければならない場面を想像してみてください。手元にあるのが前の年の開示の数字だけだと、判断の材料としては心もとないものです。

開示の指標だけをKPIとして扱うと、施策がうまく進んでいるかを年に1回しか確かめられません。開示の指標はKPIに含めたうえで、より短い間隔で動きを確かめられる指標を自社で加える必要があります。

1.2. 人材版伊藤レポートの「ギャップの定量把握」から考える

経済産業省の「人材版伊藤レポート」(2020年9月)は、人材戦略を考えるための3つの視点を示しており、人的資本経営のKPIを決める手がかりになります。

● 経営戦略と人材戦略の連動

● 現在の姿(As is)と目指す姿(To be)のギャップの定量把握

● 企業文化への定着

「人材版伊藤レポート2.0」(2022年5月)は、これらの視点と、あわせて示された5つの共通要素を具体的な取り組みに落とし込みました。KPIが担うのは、2つ目の視点にあるギャップを数字で表す役割で、目指す姿を数字で書き、今の値を測り、その差が縮んでいるかを追いかけます。

あなたの会社が目指す姿は、いまどこまで数字で書けているでしょうか。

1.3. 可視化指針の「独自性」と「比較可能性」を分ける

内閣官房の「人的資本可視化指針」(2022年8月)は、開示事項の例として7分野19項目を挙げました。ただし、これはあくまで例示にとどまり、開示を義務づけるリストではありません。

指針は、自社固有の戦略に沿った「独自性」のある開示と、企業間で比べられる「比較可能性」のある開示を組み合わせて考えるよう示しています。KPIを決めるときは、この2つを区別して考えることが大切です。

比較可能性のある指標は、どの会社でも同じ定義で測るため、自社の戦略に固有の筋道は表れにくくなります。施策と結果のつながりを説明する指標は、主に独自性の側で、自社が設計する必要があります。

そもそも人的資本が重視されるようになった背景を知りたい場合は、人的資本経営の背景を知ろうもあわせてご覧ください。

2. 2026年に何が変わったか|有価証券報告書の改正と可視化指針の改訂

制度の改正や改訂が続くと、どこまで追えば十分なのか分からなくなるのは自然なことです。2026年には、有価証券報告書の記載事項が増え、人的資本可視化指針も改訂されました。

どちらも経営戦略と人材戦略のつながりを具体的に示す方向への変更で、主な変更とKPIの設計で確かめたいことを表にまとめました。

時期 変わったこと 中身 KPIの設計で確かめたいこと
2026年2月20日 内閣府令の改正が公布・施行 経営戦略と関連づけた人材戦略など3つの記載を追加 人材戦略と経営戦略のつながりを、指標で説明できるか
2026年3月23日 人的資本可視化指針の改訂版が公表 経営戦略と人材戦略の連動の具体化に重点 自社の戦略に沿った独自の指標を持っているか
2026年4月1日 改正女性活躍推進法の公表義務 101人以上の企業に、男女間賃金差異と女性管理職比率の公表 公表する数字と、それを動かす施策がつながっているか

2.1. 有価証券報告書の人的資本の開示義務は、2023年から始まっている

有価証券報告書での人的資本の開示義務は、「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2023年1月31日公布・施行)から始まっています。対象は、2023年3月31日以後に終了する事業年度の有価証券報告書です。

提出する会社は、人材育成方針と社内環境整備方針、それらに関する指標の内容・目標・実績を記載します。女性管理職比率・男性の育児休業取得率・男女間賃金差異の3つは、女性活躍推進法などで公表の義務がある場合に記載するものです。

ただし、すべての上場企業に、女性管理職比率などの3つの指標が一律に求められているわけではない点に気をつけましょう。

2.2. 2026年3月期から、経営戦略と関連づけた人材戦略の記載が加わった

「また記載事項が増えるのか」と感じた人もいるかもしれません。2026年2月20日に公布・施行された内閣府令の改正で、2026年3月31日以後に終了する事業年度から、有価証券報告書に次の3つの記載が加わりました。

  1. 経営戦略と関連づけた人材戦略
  2. 従業員の給与等の決定に関する方針
  3. 平均年間給与の対前事業年度増減率

これは公布・施行済みの改正で、案ではありません。給与については、額そのものを新しく開示するのではなく、決め方の「方針」と前年からの「増減率」を記載する点に注意しましょう。

改正の内容を原文で確かめたいときは、金融庁の公表ページで確認できます。

人的資本経営のKPIの設計に最も関わるのは、1つ目の人材戦略と経営戦略の関連づけです。人材戦略が経営戦略のどの目標を支え、どの指標でそれを確かめるのかを、文章と指標をそろえて説明できるようにしておきましょう。

例えば、人材戦略の欄を書きながら「この文章を裏づける数字はどれだろう」と手が止まる場面を想像してみてください。

新しい記載項目の書き方と人材戦略の立て方は、人材戦略に関する基本方針等とはで詳しく紹介しています。

2.3. 可視化指針の改訂と、あわせて押さえたい制度

人的資本可視化指針は、2026年3月23日に内閣官房・金融庁・経済産業省が改訂版を公表しました。改訂は、経営戦略と人材戦略の連動を具体化することに重点を置いたものです。改訂版の内容は、内閣官房の公表ページから確認できます。

有価証券報告書とは別の制度として、改正女性活躍推進法(2025年6月公布)も押さえておきましょう。2026年4月1日から、常時雇用する労働者が101人以上の企業に、男女間賃金差異と女性管理職比率の公表が義務づけられました。

人的資本の報告に関する国際規格として、ISO(国際標準化機構)が定めたISO 30414があります。2018年の初版に続き、2025年8月に第2版(ISO 30414:2025)が発行されています。開示項目は増えていますが、KPIを選ぶ基準はあくまで自社の経営戦略です。

3. 開示の数字が説明にならない3つの理由

開示の欄を埋めても「その施策で何が変わったのか」に答えられないのは、あなたの説明の仕方だけが原因ではありません。開示の指標の組み方に、次の3つの構造があって、施策と結果のあいだが見えにくくなっているからです。

3.1. 並んでいる指標の多くが「結果」の指標

開示している指標の多くは、女性管理職比率や離職率、エンゲージメントスコアなど、さまざまな要因が積み重なって決まる「結果」の指標です。これらの数字は施策のほかに、事業環境や組織の変更、採用の状況にも左右され、しかも確かめる機会は多くの場合年に1〜2回にとどまります。

例えば、ある施策を始めた年にスコアが少し上がったとしても、それが施策の成果なのか、組織変更や採用の影響なのかは、数字だけでは切り分けられません。一方、研修時間や受講率は会社が何をしたかを表す「施策」の指標で、結果として何が変わったかまでは示しません。

3.2. 施策と結果のあいだの「中間」が測られていない

施策と結果のあいだには現場の行動の変化という「中間」があるのに、開示の欄に並ぶ指標には、ここを表す数字がほとんど入っていないのが実情です。

例えば、管理職研修を終えた人が、翌週の部下との対話をいつもどおりに進めている場面を想像してみてください。研修時間の数字は増えているのに、現場は何も変わっていないということが起こり得ます。

本来起きてほしいのは部下との対話の仕方が変わることで、その変化が部下の挑戦や定着につながり、やがてスコアや離職率に表れます。

中間が測られていないと、結果が動かなかったときに、施策が現場まで届かなかったのか、届いたのに結果につながらなかったのかを区別できません。前者なら施策の届け方を、後者なら施策と結果をつなぐ見立てを変える必要があります。

3.3. 現場の管理職が、自分の仕事として扱える数字がない

全社の結果の指標は、現場の管理職が日々の仕事で直接動かせる数字ではありません。女性管理職比率や離職率は、一人の課長が今月の行動で変えられるものではないからです。

「これは報告のための数字で、自分の課の仕事とは関係がない」と感じる人がいても、無理はありません。そのため現場の管理職には、人的資本の話が開示のための数字に見えやすくなります。

一方で、人材戦略の多くは、最終的には上司と部下の日々の関わりを通して実行に移されるものです。管理職が自分の行動として動かせる指標が中間にあれば、人的資本の話は開示の欄から日々の仕事につながります。

4. 施策と結果をつなぐKPIの3層|人的資本経営の指標例

ここまで読んで「結局、何を新しく測ればよいのか」と感じたなら、KPIを施策・中間・結果の3層に分けて組み立ててみましょう。3層がそろうと、「その施策で何が変わったのか」という問いに、施策から結果までを順にたどって答えられます。

4.1. 施策・中間・結果の3層と指標例

施策の層は会社が何をしたかを、中間の層は現場の行動がどう変わったかを表し、結果の層には経営戦略に近い成果と開示している数字の多くが入ります。人材戦略のテーマごとに、3層の指標を例としてどのように並べられるかを表にしました。

人材戦略のテーマ(例) 施策の指標 中間の指標 結果の指標
次の管理職を育てる 管理職研修の受講率、研修時間 部下に判断を任せた案件の数、1on1の実施率 後任候補の充足率、エンゲージメントスコア
女性の活躍を広げる 育成プログラムの参加者数 育成計画を持つ女性の昇格候補者の数、上司との対話でキャリアが話題になった割合 女性管理職比率、男女間賃金差異
挑戦する組織にする 社内公募や提案制度の整備 提案した人の数、新しい取り組みに手を挙げた人の数 新規事業の売上比率、社内公募への応募率

表の指標は一例なので、自社の経営戦略から選び直してください。施策と結果の指標はすでに手元にあることが多く、新しく設計が必要なのは、多くの場合中間の層です。

4.2. 中間の指標を選ぶ3つの条件

中間の指標は、現場に近い・変化が速い・施策に結びつけられるという3つの条件を満たすものを選びましょう。「現場に近い」は3.3の、「変化が速い」は3.1の、「施策に結びつけられる」は3.2の理由に応える条件です。

条件 意味 確かめる問い
現場に近い 現場の管理職が日々の仕事で動かせる行動を表す 一人の管理職が、来月の自分の行動で変えられるか
変化が速い 月次や四半期で変化が見える 半年のうちに、2回以上は変化を確かめられるか
施策に結びつけられる 施策の前後や、施策を受けた部署とそうでない部署を比べられる 施策を始めた時期と部署を、指標の動きと並べて見られるか

なお、中間の指標が結果の指標につながるという見立ては最初は仮説にすぎないので、中間と結果の動きを何度か見比べて、合っているかを確かめていきます。

4.3. 経営戦略からKPIを決める5つの手順

人的資本経営のKPIは、経営戦略の目標から逆にたどり、次の5つの手順で決めましょう。

  1. 経営戦略の目標から、人材の面で必要な状態を一文で書く(To be)
  2. その状態を表す結果の指標を1〜2個に絞り、今の値を測る(As is)
  3. 結果を動かすと考える現場の行動を書き出し、3つの条件を満たすものを中間の指標にする
  4. 中間の指標を動かす施策と、その実施を測る施策の指標を決める
  5. 3層を1枚の表にまとめ、四半期ごとに施策・中間・結果のつながりを見直す

この順に進めるのは、手元の施策から指標を選ぶと、施策を続けるための説明を並べた表になりやすいからです。結果から逆にたどれば、どの施策がどの行動を通じて結果を動かす想定なのかが、表の上でつながります。

手順5の見直しでは、3.2で触れたとおり、中間の指標が動いたかどうかを最初に確かめましょう。そのうえで、施策の届け方を直すのか、見立てを直すのかを切り分けます。

あなたが取締役会の席で、1枚の表を指しながら「この施策は、この行動を通じて、この結果を動かす想定です」と話せる状態を目指してみてはいかがでしょうか。

中間の指標を、新しいアンケートを増やさずに集められるでしょうか。TONOME Coreの組織ダッシュボードでは、1on1の実施率や対話テーマの傾向を組織単位で見られます。個人の発言がそのまま上がることはなく、対話の内容を見られるのは上司と部下の当事者だけです。TONOME Coreの詳細を見る

5. 中間の指標を現場から集める設計|負担・プライバシー・部署の差

新しい指標を増やすと聞いて、現場の負担が真っ先に気になるのは、もっともなことです。中間の指標は、負担を増やさず個人の発言を見ない形で集め、部署ごとの差まで見ましょう。どれか一つが欠けても、集めた数字が現場の実態から離れていきます。

5.1. 新しいアンケートを増やさず、日々の業務から集める

中間の指標は、できるだけ日々の業務の中で自然に残る記録から集めるようにしましょう。毎月のアンケートで管理職の行動を尋ねる方法もありますが、回答の手間が増えるうえ、回数を重ねるほど答えが形だけになりやすくなります。

月末に「今月の1on1は何回でしたか」と尋ねられる場面を、あなた自身に置き換えて想像してみてください。忙しい週には、思い出して答えるだけでも負担になります。

1on1の実施の記録やカレンダーの予定、対話で扱ったテーマのような記録なら、新しい入力を求めずに済みます。

5.2. 個人の発言ではなく、集計した傾向を見る

組織が見る中間の指標は、実施率やテーマの傾向といった集計の数字にとどめましょう。対話の中身を上の立場の人が読む設計にすると、上司も部下も読まれる前提で言葉を選びやすくなります。

あなたが「この内容は、上の人に読まれるかもしれない」と思いながら話す1on1を想像してみてください。無難な言葉を選びたくなるのは自然なことで、そうなれば測りたかった行動の変化そのものが起きにくくなります。

何を集め、誰がどこまで見られるのかは、集め始める前に決めておきましょう。集めた数字を個人の評価に使うかどうかも、あわせて決めて社員に伝えておくことが大切です。

5.3. 全社の平均だけでなく、部署ごとの差を見る

全社の平均が上がっていても、施策がまったく届いていない部署が平均に隠れていることがあるため、中間の指標は部署ごとの差でも見ましょう。部署ごとの差は、どこに支援を足せばよいかを決める手がかりになります。

ただし、差を管理職の順位づけに使うのは避けましょう。順位が評価に結びつくと、数字を良く見せるための行動が増え、中間の指標が実態を表さなくなるからです。

差が大きい部署では、管理職の負担や人員の状況を聞くところから支援を始めると話が進みます。

まとめ

● 2026年3月期から、有価証券報告書に経営戦略と関連づけた人材戦略などの記載が加わり、人的資本可視化指針も改訂された

● 開示の数字が説明にならないのは、指標の多くが結果の指標で、施策と結果をつなぐ中間の指標が測られていないから

● 人的資本経営のKPIを施策・中間・結果の3層に分け、中間の指標は3つの条件で選び、日々の業務の記録から集計で集める

「その施策で何が変わったのか」と聞かれたときに、施策から結果までを数字でたどって答えられる状態をつくることが、人的資本経営のKPIの目的です。まずは今開示している指標を3層の表に並べ、中間の層が空いているところを確かめることから始めてみましょう。