3月決算の会社なら、6月に提出した有価証券報告書(有報)で、「人材戦略に関する基本方針等」の欄を初めて書いたはずです。採用や研修、エンゲージメント調査といった施策を集めて期限に間に合わせたものの、読み返すと施策の一覧に近く、不安になるのも無理はありません。

次の有報と次期の中期経営計画に向けて、どこから書き直せばよいのでしょうか。迷いが残るのは、あなたがこの欄に真剣に向き合ってきたからこそ、ともいえます。

こんな場面に心当たりはありませんか。

● 経営戦略とのつながりが、「中期経営計画の達成を支える人材を育成する」という一文にとどまっている

● 事業部の課長に聞いても、有報の人材戦略に何が書かれたかを知る人は限られるかもしれないと感じる

● 数値目標を載せるかどうかが決められず、あいまいな表現でまとめてしまう

この記事では、「人材戦略に関する基本方針等」について、府令が求める3つの記載と金融庁の考え方を整理します。続いて取り上げるのは、人材戦略が施策の一覧になる3つの理由と、逆算する立て方、現場に届ける役割分担です。次に書く2027年3月期の有報に向けて下期のうちに逆算をやり直せば、期末のあとに棚卸しから書き始めずに済み、次期の中期経営計画の議論にも使えます。

それでは詳しく見ていきましょう。

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1. 「人材戦略に関する基本方針等」とは?有報に加わった3つの記載

新しく加わった欄だけに、何をどこまで書けば十分なのか迷ってしまうのは自然なことなので、まずは制度の中身から整理しておきましょう。

「人材戦略に関する基本方針等」とは、有価証券報告書の【従業員の状況等】に新しく設けられた記載項目です。経営戦略と関連づけた人材戦略、給与等の決定に関する方針、平均年間給与の増減率の3つを書きます。

根拠は「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(令和8年内閣府令第5号)で、2026年2月20日に公布・施行されました。

1.1. 記載場所と適用時期、3つの記載の中身

新しい記載は、2026年3月31日以後に終了する事業年度の有報から適用されています。記載場所と記載の中身を、次の表に整理しました。

項目 内容
記載場所 第二部【企業情報】第4【提出会社の状況】の「5【従業員の状況等】」。⑴が【人材戦略に関する基本方針等】、⑵が【従業員の状況】
適用時期 2026年3月31日以後に終了する事業年度の有報から。3月決算なら2026年3月期から
記載1 人材戦略 連結会社の人材戦略を、経営方針・経営戦略等に関連づけて具体的に書く
記載2 給与等の決定方針 連結会社の従業員の給与その他の給付の額・内容の決定に関する方針を具体的に書く。提出会社に限ってもよく、持株会社は提出会社と最大人員会社が対象
記載3 平均年間給与 提出会社の平均年間給与(賞与を含む)と、その対前事業年度増減率
数値目標 府令は「具体的に記載」を求めるが、数値目標の開示までは義務づけていない

これまで第1【企業の概況】にあった【従業員の状況】は、新設の⑴に続く⑵へ移りました。改正の内容は、金融庁の公表ページで確認できます。

なお、サステナビリティ開示の基準であるSSBJ(サステナビリティ基準委員会)基準の適用は別の改正で、時期も異なります。準備の段取りは分けて考えましょう。

1.2. 給与等の決定に関する方針も、人材戦略と同じ筋で書く

給与の方針は、人材戦略とは別の話として切り離して書きたくなるかもしれません。けれど、給与等の決定に関する方針は、人材戦略と同じ筋で読める内容にしましょう。

金融庁は改正案に寄せられたパブリックコメントへの回答で、この方針に一般的に含まれうるものを挙げています。給与の構成やジョブ型か職務能力型かといった考え方、水準のベンチマーク、決定のプロセスなどです。

たとえば専門人材の獲得を人材戦略の柱にするなら、その人材の給与水準を何と比べて決めるのかが問われるでしょう。人材戦略で書いた獲得や定着の方針と、給与の決め方が同じ方向を向いているかを確かめましょう。

そもそも人的資本経営がなぜ求められているのかは、人的資本経営の背景を知ろうで日本の生産性や労働人口の変化から整理しています。

2. 金融庁の考え方と、好事例集が示す投資家の期待

「人材戦略に関する基本方針等」の文章が基準に届いているのか、物差しがほしくなりますよね。金融庁の考え方も投資家の期待も、人材戦略を経営戦略とのつながりの中で書くことを求めています。

府令の文言だけでなく、金融庁が示した回答と好事例集をあわせて読むと、書くべき中身が具体的に分かるはずです。

2.1. 人材戦略に一般的に含まれうる要素

金融庁は、人材戦略に一般的に含まれうる要素を、パブリックコメントへの回答で挙げています。人材を重視する理由と、獲得目標とする人材の量・種類・獲得方法に加えて、育成方法や定着施策も含まれます。

いずれも、経営方針・経営戦略に関連づけて書くことが前提です。挙がった要素はどれも、「どんな人材がどれだけ要るか」が決まっていないと書けないものです。

要素が多くて身構えてしまうかもしれませんが、必要な人材の見立てを先に決めておけば、獲得・育成・定着の方法はその見立てに沿って書けます。

2.2. 好事例集が示す、投資家が期待する4つのこと

好事例集が示す投資家の期待は、施策から経営戦略までの因果関係を読み手がたどれることに集まっています。金融庁は「記述情報の開示の好事例集2025」を2025年12月に公表し、2026年3月に最終版を出しました。人的資本の開示について、投資家等が期待する点として挙げたのは次の4つです。

● 経営戦略と人材戦略の連動を明示する。人事施策を並べるのではなく、事業戦略と施策の因果関係を示す

● 戦略と指標・目標を連動させる

● エンゲージメントスコアは、上がり続けることだけが良いわけではない。構成要素の変化と改善施策の関係を示す

● 事業戦略ごとに、必要な人材の数やスキルの構成を示す

好事例集に載った各社の記載は、この4つの観点で読むと、自社の書き直しに使える部分を見分けやすくなります。

2.3. 数値目標は義務ではないが、具体的に書く必要がある

数値目標を載せると、あとで達成状況を問われそうで、あなたが慎重になるのも当然です。府令は人材戦略を具体的に書くよう求めていますが、数値目標の開示までは義務づけていません。

数値目標を載せるかどうかは、各社の判断になります。一方で好事例集は、戦略と指標・目標の連動を投資家の期待として挙げました。

数字を載せない場合も、どの事業にどんな人材が要り、何をもって進んだとみなすかは文章で示しましょう。社内では進み具合を確かめる指標を持っておくと、翌年の有報で変化を説明できます。

3. 「人材戦略に関する基本方針等」が施策の一覧になる3つの理由

一生懸命に書いたのに施策の一覧になってしまうと、自分の力不足のように感じてしまうかもしれません。けれど、人材戦略が施策の一覧になる原因は、書く人の文章力だけではなく、作る順番と分担の決め方にもあります。

3.1. 手元の施策から書き始めている

例えば、あなたの会社で人事が持っている施策の棚卸しから、「人材戦略に関する基本方針等」を書き始めたとします。採用や研修、評価制度やエンゲージメント調査は、どれも実際に行っている取り組みなので、並べるのに迷いはありません。

ただ、並べた施策の目的として、最後に経営戦略への一文を付け加える形になりやすいのです。先に見た「どんな人材がどれだけ要るか」が抜けたまま、文章ができあがってしまいます。

施策が多いほど文章は充実して見えますが、読み手には施策どうしの優先順位が分かりません。

3.2. 経営戦略を「必要な人材」に言い換える担当がいない

経営戦略は経営企画が、施策は人事が、文章はIR(投資家向け広報)が受け持つことが多いでしょう。そのあいだで「どの事業に、どんな人が何人要るか」を決める作業は、誰の担当とも決まっていないことが少なくありません。

経営戦略を事業ごとに必要な人材の量と種類に言い換える担当がいないと、目標と施策のあいだが空いたままになります。目標から施策を導くには、事業ごとにどんなスキルの人が何人足りなくなりそうかという見立てが要ります。

その見立てに最も詳しいのは、日々の事業を回している事業部門でしょう。ところが有報の作成の流れに、事業部門の見立てを聞く手順が入っていないことがあります。その場合、目標と施策をつなぐ見立てが誰の手元にもないまま、文章だけが組み立てられます。

3.3. 社外向けの文章で終わり、現場の言葉に直されない

有報の人材戦略は社外に向けた文章なので、そのままでは現場の管理職が判断に使える言葉になりにくいものです。「多様な人材の活躍」「自律的なキャリア形成」といった表現は、それだけではどの部署にも当てはまります。

その反面、明日の配置や育成の判断を変える手がかりにはなりません。事業部の課長が有報のその一文を読んで、来月の配置をどう変えればよいかを思い浮かべられるか、想像してみてください。

人材戦略が実行されるのは、採用の要望や配置、部下との日々の対話の場面です。そこで使える言葉に直す工程がなければ、書いた戦略は有報の中にとどまり、翌年の記載も、施策の実績を並べ直すだけになりかねません。

4. 人材戦略の立て方|可視化指針が示す3つのステップ

施策の一覧になった文章を、あなたならどこから直しますか。迷ったときは、書く順番を入れ替えるところから始めてみてはいかがでしょうか。

人材戦略は、可視化指針が示す3つのステップに沿って、経営戦略から逆算して立てましょう。内閣官房・金融庁・経済産業省の「人的資本可視化指針(改訂版)」(2026年3月23日)は、人材戦略を策定するステップを次のように示しました。

  1. 経営戦略上の重要項目について、「あるべき組織・人材の姿」を描く
  2. 現状とのギャップを埋めるために必要な人材戦略・人的資本投資を整理する
  3. 経営への影響度をもとに、優先順位と時間軸を決める

指針は規範ではなく、考え方を整理したものです。従う義務はありませんが、前の章で見た「施策から書く」順番を、経営戦略から書く順番に戻す手順として使えます。

4.1. 重要項目ごとに、必要な人材の量と種類を書く(ステップ1)

重要項目をいくつも並べたくなるかもしれませんが、ステップ1では中期経営計画の重要項目を2〜3つに絞り、項目ごとに必要な人材の量と種類を書きます。

たとえば新しい地域に事業を広げる戦略なら、現地で取引先を開拓できる人や、拠点を任せられる人が要るでしょう。どの事業にどんな人をいつまでに何人置くかまで書くと、今との差を測れる形になります。

好事例集が期待として挙げた、事業戦略ごとに必要な人材の数やスキル構成にあたる部分です。この見立ては、人事だけでは書けません。事業部門の責任者に、計画期間の終わりに必要な人材を書いてもらうところから始めましょう。

4.2. ギャップを獲得・育成・定着に分けて埋める(ステップ2)

ステップ2では、必要な人材と今いる人材の差を出し、獲得・育成・定着のどれで埋めるかを決めます。外から採るか社内で育てるか、今いる人に残ってもらうかを、差ごとに選ぶ作業です。パブリックコメントへの回答が挙げた獲得方法・育成方法・定着施策は、この整理に対応します。

既存の施策は、この段階で初めて当てはめましょう。どの差にも結びつかない施策が見つかると、続けてきた経緯があるぶん戸惑うかもしれませんが、続ける理由を確かめ直す機会になります。

反対に、差があるのに施策がない部分は、次期の中期経営計画で予算を検討する候補です。

4.3. 影響度で順番と期限を決め、文章にする(ステップ3)

ステップ3では経営への影響度をもとに、どの差から埋めるかと、いつまでに埋めるかを決めます。すべてを同時に進める計画では、読み手に優先順位が伝わりません。

指針は、経営トップのコミットメントも欠かせないとしています。順番を決める場には経営トップに加わってもらい、自分の言葉で説明できる状態にしておきましょう。

文章は人材を重視する理由から書き始めます。続けて必要な人材と今との差を示し、優先する取り組みと期限、進み具合の確かめ方で結びましょう。書き上げたら、次の表で抜けている要素がないかを確かめます。

要素 確かめる問い 出どころ
人材を重視する理由 経営戦略のどの目標に、なぜ人材が関わるかを書いているか パブリックコメントへの回答
必要な人材の量と種類 事業ごとに、どんな人材が何人、いつまでに要るかを示しているか パブリックコメントへの回答、好事例集
獲得・育成・定着の方法 差ごとに、採る・育てる・残ってもらうのうちどれで埋めるかが分かるか パブリックコメントへの回答
施策との因果関係 各施策がどの差を埋めるのかを、経営戦略までたどれるか 好事例集
優先順位と時間軸 どれを先に、いつまでに進めるかを決めているか 可視化指針
指標・目標 進み具合を何で確かめるかを決めているか 好事例集
給与等の決定方針 給与の決め方が、獲得や定着の方針と同じ方向を向いているか パブリックコメントへの回答

書き直した人材戦略が、現場の1on1でどのくらい話題になっているかを確かめていますか。TONOME Coreの組織ダッシュボードでは、1on1の実施率や対話テーマの傾向を組織単位で見られます。個人の発言がそのまま上がることはなく、対話の内容を見られるのは上司と部下の当事者だけです。中期経営計画に掲げた組織像を日々の1on1から確かめる考え方は、中計の「組織づくり」を、掛け声で終わらせないで紹介しています。

5. 書いた人材戦略を現場に届け、届いたかを確かめる

提出して一息つくと、現場に届けるところまでは手が回らなくなりがちです。それでも、「人材戦略に関する基本方針等」に書いた人材戦略は、部署ごとの言葉に直して管理職に渡し、届いたかを確かめるところまでを工程に含めましょう。

5.1. 経営企画・IR・人事・事業部門の役割を分ける

部署をまたぐ作業なので、誰が何を書き、誰に渡すかを先に決めておきましょう。3月決算の会社を例に、役割と時期の目安を表にしました。

担い手 主に担うこと 時期の目安
経営企画 経営戦略の重要項目を選び、人材戦略と中期経営計画の目標をつなぐ 10〜12月
事業部門 事業ごとに必要な人材の量・種類・時期を書き、部署の言葉に言い換える 10〜12月、4月以降
人事 差を獲得・育成・定着に分け、施策と給与等の決定方針を整える 1〜3月
経営トップ 優先順位と時間軸を決め、社内外に自分の言葉で説明する 1〜3月
IR・開示の担当 投資家の期待に照らして文章を整え、対話で出た問いを社内に返す 4〜6月

あなたの会社に当てはめて、この表のどこが空いているかを確かめてみてください。特に事業部門の行が空いていると、先に見た抜けがそのまま残ります。

5.2. 管理職が、自分の部署の言葉に言い換える

全社の人材戦略は、各部署の管理職が自分の部署の言葉に言い換えて、初めて日々の判断に使えるようになります。可視化指針が欠かせないとしているのも、従業員との対話を通じて価値観への共感を深め、社内に浸透させることです。

全社の文章を配るだけでは、この対話は起きにくいでしょう。管理職に新しい宿題を出すようで気が引けるかもしれませんが、各部署の管理職に、次の3つの問いへの答えを短く書いてもらいましょう。

● 人材戦略のうち、自分の部署に関わる重要項目はどれか

● 計画期間の終わりに、部署にどんな人がいてほしいか

● そのために今期、配置や育成、部下との対話で何を変えるか

答えは部長会で持ち寄り、部署どうしで見比べます。言い換えに迷う管理職が多ければ、全社の文章が抽象的すぎるという手がかりになるでしょう。

5.3. 届いたかを、部署の判断と指標で確かめる

届いたかどうかは、管理職が自分の言葉で説明できるかと、部署の判断が変わったかで確かめます。たとえば事業部門の計画書や採用の要望に、人材戦略で挙げた人材の姿が書かれているかを見る方法があります。

部下との1on1や面談で、育成や配置が話題になっているかも手がかりになるでしょう。エンゲージメントサーベイを使うなら、スコアが上がったかだけでなく、どの構成要素がどの施策とともに変わったかを見ましょう。

人材戦略の進み具合を施策・中間・結果の3層の指標で確かめる方法は、人的資本経営のKPI(重要業績評価指標)の決め方で紹介しています。

まとめ

この記事の内容を整理したのが、次の3つの要点です。

● 「人材戦略に関する基本方針等」は2026年3月期の有報から加わった記載項目で、人材戦略・給与等の決定方針・平均年間給与の増減率の3つを書く

● 人材戦略が施策の一覧になるのは、手元の施策から書き始め、経営戦略を必要な人材に言い換える担当がおらず、現場の言葉に直す工程もないから

● 可視化指針の3つのステップで経営戦略から逆算し、役割を分けたうえで、部署の言葉に直すところまでを工程に入れる

人材戦略を書き直す目的は、「この施策は経営戦略のどこにつながるのか」という問いに、事業ごとに必要な人材の見立てから答えられるようにすることです。その見立てが、2027年3月期の有報と次期の中期経営計画の両方の出発点になります。

あなたの手元にある人材戦略も、書く順番を入れ替えれば、経営戦略とつながる文章に変わります。まずは中期経営計画の重要項目を2〜3つ選び、事業部門の責任者に、計画期間の終わりに必要な人材の量と種類を書いてもらうところから始めてみましょう。